大阪国際空港は昭和14年、大阪近郊の田園地帯に大阪第2飛行場として開設された。戦後、米軍基地として使用された時期もあったが、昭和34年に第1種空港に指定され、大阪国際空港と改称された。
その後、周辺地域の宅地化、飛行機のジェット化、第2滑走路の完成などにより深刻な騒音公害問題を抱えるに至った。
騒音公害で平穏な生活を著しく脅かされた周辺住民は、昭和44年以降、数次にわたって、夜9時以降の飛行差し止めや損害賠償を求める訴訟を起こし、最高裁判所は原告の訴えを一部認容した。訴訟が進行する中で、当時の運輸省も騒音対策の本格的な取組をはじめ、今日、大阪国際空港は都心に近く利便性の高い空港として、周辺地域と共存しながら存在している。
平成2年の運輸省と地元による存続協定で、大阪国際空港は関西国際空港開港後も国内線の基幹空港として位置づけられた。関西国際空港が開港する以前の大阪国際空港は、国際線に乗り換えられる機能も果たしていたが、国際線がなくなった今日でも、年間約1500万人が利用する大阪の空の玄関となっている。
最近、大阪国際空港の廃港を求める意見が一部にあるが、大阪国際空港の廃港は1500万人の利便を奪い、大阪の都市機能を後退させるものであり、府民合意のない一方的な押し付けでしかない。
関西国際空港は、民活方式による運営、1兆円を超える有利子負債、需要と大きく乖離した2期事業、深刻な大阪の不況などにより、経営危機が深まろうとしている。関西国際空港は日本を代表する国際空港の一つであり、今後、国による抜本的な再生策が求められている。
よって、大阪府議会は政府及び国会に、大阪国際空港の安全対策と騒音対策をいっそうすすめ、存続させるとともに、関西国際空港には国の責任で抜本的な再生策を講じるよう、強く求めるものである。
以上、決議する。
平成22年3月24日
大阪府議会議長 朝倉 秀実 様
提出者
大阪府議会議員
宮原 威 阿部 誠行 堀田 文一 黒田 まさ子 くち原 亮 小谷 みすず 蒲生 健 芹生 幸一 山本 陽子 小松 久
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