2月定例府議会で26日、日本共産党の塩谷としお府議団長が代表質問にたち、太田知事の政治姿勢を追及しました。府民本位に府政を改革する具体的提案に対し、太田知事は何一つこたえず、福祉・医療・教育の充実などの府民の切実な願いに背を向ける姿勢に終始しました。
塩谷氏は、アメリカのイラク攻撃問題で知事の姿勢を追及。太田知事は、「武力攻撃は極限まで回避の努力がなされなければならない」との対応にとどまりました。
塩谷氏は、太田知事が横山ノック前知事の路線を継承し、大型開発中心の府政運営を推進してきた結果、この3年間で大阪経済も府民の暮らしも府財政も深刻さを増したと指摘。「府政運営が誤っている」とのべ、府民本位の府政改革として@府民の暮らしと中小企業の経営・営業を守る具体策を実行し大阪経済の振興をはかるA関西空港の二期事業の中止をはじめとする巨大開発の抜本的見直しと同和事業の完全廃止B深刻な財政危機を脱却するための実効策の確立と具体的努力C不正と疑惑の一掃−の4つの視点で具体的に提案。主張しました。
第一の視点では、▽老人・障害者・母子家庭への医療費助成の現行制度の堅持▽府立の5病院のベッド数の縮小案の撤回、府立病院(大阪市)との統廃合が打ち出されている身体障害者福祉センター付属病院(堺市)の現地存続・充実▽府立高校の授業料の引下げ、エアコン使用料の徴収撤回、養護学校の自校調理方式の堅持、私学助成の充実、府立高校の統廃合計画の中止、30人学級の実現などを要求。雇用と中小企業振興対策として、府の公共事業の中心を巨大開発から生活・住宅関連公共事業へ切りかえることなどを求めました。
太田知事はこれらになんら答えず、従来の方針の堅持に終始。府立高校の統廃合は「私も積極的に支援していく」とし、府営住宅は原則として新たな供給はせず、「民間活力を活用した新たな建て替え手法を検討している」とのべました。
第二の視点では、関西空港二期事業について中止を求めるとともに二期事業が止まらない背景に一部の埋め立て受注企業からの自民党や与党国会議員への献金が行われていたことを示し、認識を問いました。
りんくうタウンなど府が開発した産業用地に本格的な借地制度を導入する問題で、約二千五百億円もの府民の税金が投入されることを指摘。大型スーパーの進出やカジノの誘致、府立大学の農学部移転計画など、府民の意思を無視した街づくりでなく、府民合意で新たな街づくり計画を策定するよう求めました。
また、阪神高速道路の新たな建設に府の関与をやめ、安威川ダムと槇尾川ダムの建設中止を要求。同和行政の終結を主張しました。
太田知事は関空二期事業について、あくまで〇七年の供用開始を前提とし、政治献金との関係については「ただちに結びつけるのは無理がある。国家プロジェクトとして適切に推進されている」と答弁。阪神高速道路やダム建設も改めて推進を表明しました。
第三の視点では、新年度予算案は、「およそ『住民福祉の増進を図る』べき地方自治体の予算に値しない」と批判。公共事業の中身を巨大開発中心から生活密着型・福祉型に転換し、福祉・医療、教育、中小企業施策の拡充の方向へ予算案の組み替えを要求しました。府財政のたて直しに、ムダな大型開発の中止、大企業の法人事業税超過課税率の10%への復元など、6点を提起しました。
知事は、予算案の組み替えは拒否し、6点についても正面から検討する姿勢は示しませんでした。
府の請負企業のパーティー券購入
知事が肯定"問題ない"
塩谷府議追及
太田房江知事は26日の府議会本会議で、同知事の選挙確認団体「21世紀大阪がんばろう会」(会長=井植敏・三洋電機会長)が開いた政治資金パーティーに関連し、府の請負企業がパーティー券を購入していても「公職選挙法に抵触しない」とする見解を示しました。塩谷としお府議団長の代表質問への答弁。長崎県知事選で、県の請負企業から現職知事陣営に選挙資金を目的にした献金があったことが司直の追及をうけるなか、知事の認識は重大です。
同団体は2001年から毎年1月か2月にパーティーを開催。2001年は2243万円、02年は1354万円、03年は会費2万円で1500人が出席し、収入は現在整理中です。公選法第199条は、地方公共団体の議会の議員や長の選挙で、その地方公共団体と請負その他特別の利益を伴う契約関係にある者は、その選挙で寄付をしてはならないとしています。
塩谷氏は、政治資金パーティーは形を変えた政治献金だと財界も認めていることや、今年のパーティーについて知事の後援会幹部が新聞の取材で、「次の知事選に、ある程度集めておきたい」として4千万円の集金目標をあげていることを指摘。「明らかに選挙資金集めだ。請負企業にパーティー券の購入を依頼したとすれば選挙資金の寄付を要請したことになり、公選法違反だ」とのべ、調査を求めました。
知事は「府との請負が問題になることはない」との姿勢に終始しました。
2003年2月27日付